菅野家は明治初頭に、5代の伝右衛門が北海道との通商などで家業を広げ財を築きました。
明治22年(1889)には高岡銀行を設立、同36年には高岡電灯を創立する一方で、政界にも進出して、木津家や荒井家と並んで高岡政財界の中心的な存在として活躍しました。 |
主屋は明治33年(1900)の大火直後に再建されました。土蔵も同時期の建設と推定されます。
大工棟梁に室田直助、左官には壁長が携わり、当時10万円という大金を投じて建てられたといいます。
主屋は土蔵造り、2階建、平入りの町家で、黒漆喰仕上げの重厚な外観と正面庇の天井飾、軒を支える鋳物の柱などの細部の華やかな装飾に特徴があります。
土蔵は2階建で、蔵前も土蔵造りとし、大火の教訓を生かして防火に念入りに備えた造りとなっています。
当住宅は、質の高い伝統的な町家が多く残る高岡市の中でも、大規模で最も質の高いもののひとつとして貴重であると評価され、平成6年12月27日に重要文化財に指定されました。
当住宅に居住されているご家族の特別のご配慮をいただいて、一般に公開しています。 |
■構 造
明治32年(1899)の富山県令第51号「建物制限規則」により、大火後の繁華街における建造物は土蔵造りなどの耐火構造とすることが義務づけられました。
菅野家は、2階には観音開きの土扉を備えた窓があり、両袖には防火壁が立ち上げられているほか、1階正面道路側と中庭に面する縁には鉄板を貼った防火戸が設けられ、一朝有事の際は貝がふたを閉じたようになるなど、防火に配慮した構造となっています。
防火壁は釉薬(ゆうやく)を施した煉瓦で造り、屋根の小屋組には土蔵造としては珍しい真束(しんづか)の手法を用いるなど、時代を反映して洋風建築の要素を採り入れた構造となっています。
■意 匠
外観は黒漆喰仕上げで、太い出桁とその先に何段もの厚い蛇腹をまいている。また、棟には大きな箱棟を造って鯱や雪割りを付けるなど、全体的に重厚な意匠となっています。
一方では、防火壁正面の石柱、正面庇の天井飾の鏝絵(こてえ)や軒を支える鋳物の柱などの細部の要所には、細かな装飾が施され華やかな意匠としています。
内部は、土蔵造りでありながら柱や長押(なげし)などの部材が細く、土蔵を意識させません。
特に、ホンマなどの外向きの部屋は、数寄屋風で木割りが細くすべて白木の柾目(まさめ)の檜とし、天井板も屋久杉等の厳選された銘木をふんだんに使用しています。
壁は自然石を砕いた粉を混ぜた鮮やかな朱壁で、年月を経ても色落ちしていません。
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ホンマ |
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ミセノマ |
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中 庭 |
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鯱や雪割を付け、雷紋を施した 大きな箱棟 |
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シャンデリア |
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